戦没者を追悼し平和を祈念する日
今日は標記のとおり「終戦の日」です。
61年前はどんな日だったんだろう。
悲壮感に包まれていたのかな...
両親はその頃小学生でした。
以前、当時のことと尋ねたことがありましたが
両親はあまり語ろうとはしません。
あえて聴こうとも思いません。
なんとなく分かる
「何かに負けて終わった」という苦々しき感覚。
ボクにとってはそれだけで十分でした。
「ボクの8月15日」はさておき…
昨日、官房長官がこんな談話を出している。
明日八月十五日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であります。
政府は、日本武道館において、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、遺族代表及び各界代表の参列の下に、先の大戦における三百万余の戦没者のため、全国戦没者追悼式を挙行いたします。
この式典を政府が主催する趣旨は、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、全国民が深く追悼の誠を捧げるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにしようとするものであります。
明日の正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、この式典に合わせて、戦没者をしのび、心から黙とうを捧げられるよう切望いたします。
(首相官邸ホームページより)
たぶん、毎年使いまわしの文章でしょう…
(ボクはそれに従って1分間の黙祷をしましたよ。)
その翌日、つまり今日の朝になって不可思議な出来事が…
干支では60年を過ぎると元に戻る、などと言うけど
61年目にボクたちのいる国の首相はそのせいかサッパリとしたもんだ。
そんな追悼式典の前に
「戦争に行った兵隊さんなどは戦死したら神様になる。」という
平和ボケした世の中では摩訶不思議に聞こえる教えの「やしろ」に行って
礼してきたそうで。
何度も何度も頭を下げたらバカに見える
とか言われたことない?
周辺各国からしてみれば
トンチンカンな思想のところに行っているようにしか見えないって
どうして気づかないんだろうね。
なんでも諸外国では「神は心の中に宿っている」と言われているらしいが
日本人のその心の中は「無」になっているそうで、
いろんなものにすがりたい一面を持っているそうな。
だからあんな「やしろ」ができちゃうんだね。
それならそれなりに、何かすべきことがあると思うんだけどね。
いつも心はLOVE and PEACE!
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